映画「ハケンアニメ!(2022年)」を観た:私の想像が勝ってあなたの感動になるまで

 

作品メモ

ハケンアニメ! 2022年5月20日公開(金) 128分 監督:吉野耕平

先週の土曜日に観たけど忙しくて書けなかったから、しばらく経った今ハイボール飲みながら酔った勢いで感想を書いていく

最も成功した作品の称号を得るため熱い闘いが繰り広げられている日本のアニメ業界。公務員からこの業界に転身した斎藤瞳(吉岡里帆)は、初監督作で憧れの監督・王子千晴(中村倫也)と火花を散らすことになる。一方、かつて天才として名声を得るもその後ヒット作を出せず、後がない千晴はプロデューサーの有科香屋子(尾野真千子)と組み、8年ぶりの監督復帰に燃えていた。瞳はクセが強いプロデューサーの行城理(柄本佑)や仲間たちと共に、アニメの頂点「ハケン(覇権)アニメ」を目指して奮闘する。

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観た理由

・『フォーエバーパージ』と迷ったが仕事で陰鬱とした気持ちになっていたのでそのあたりのキモチを変えてくれるのはこっちの映画かと思ったから。

 

感想

 『ハケンアニメ!』と聞いて、どんな漢字を思い浮かべるだろうか。私が真っ先に思い浮かべたのは、「派遣アニメ!」であった。なぜか自問自答してみる。派遣とは派遣労働制度のことをイメージした。小泉改革構造改革により、派遣法が改正から全ての業種に派遣労働制度が適用された。2000年代には、「派遣村」「派遣切り」などのワーキングプアの問題が取り沙汰され、派遣労働とは即ち労働問題である、というパブリックイメージがついて回る現状があるという印象を持つ(もちろん、私の職場の仲良いお姉さんもそうなのだけれど、派遣労働制度を活用して自らが望む働き方を実現している労働者もいる)。そしてアニメ業界の労働環境は、低賃金長時間労働という過酷なものであると取り沙汰されている。同時並行に各話を製作するという並行作業や多重的な請負契約構造・フリーランス契約のスキーム、あるいは職務能力が非定量的であることなど、アニメ業界には労働問題が根深く存在する。ちなみに大学時代に読んだ『ミッキーマウスストライキ!』という書籍には、アメリカのディズニーアニメの勃興くらいの時代からのアニメ業界の労働問題を描いてあり、かなり良い書籍でございます。ということで私がこの映画のタイトルを観て、「派遣」という感じを思い浮かべた理由は、アニメ業界が労働問題とは不可分の関係にあるからである。それゆえ、アニメが好きである以上、その感動や楽しみの裏にはそのような影の部分があることに自覚的に在らねばならない、と思っているからだ。(これはエンタメ産業、と拡大解釈することもできるかもしれない。)

 

 ということで、私はこの映画は、今をときめく役者を起用してアニメ業界の労働問題を明るみに出す硬派な社会派ムービーだという一方的な思い込みがあったわけだけれど、どうやら「派遣アニメ!」ではなく「覇権アニメ!」であることに気づいた。なるほどアニメ業界で覇権を競い合ういわゆる『バクマン。』的な映画というわけか。劇中アニメもかなりのクオリティで製作されているようだ。これはこれで面白そうだ! ということで、「作品メモ」にも記載したとおり、視聴時のメンタルの状況が後ろ向きだったこともあり、前向きなキモチになれるかなとも思い、映画館に足を運んで土曜の朝イチの回で鑑賞いたしました。

 結論:「誰かと何かを努力して成し遂げることは美しい!!抱け自分のプロフェッショナリズム!!マジで途中から涙が止まらない素晴らしいエンタメムービーである!!」 ・・・という感想を抱いた。なんか前段の記載をみると皮肉のようにも思えるけれど、これは率直な感想であるし、おひとりさまで号泣して帰り際はマスクが湿っていて買い替える必要になったのも事実である。「う~んここまで涙を流したのはマジででいつ以来だろうか?」というような感じで、劇場出るときにはいろいろと意味でメンタルケアが為されてスッキリした気持ちになり今週がんばれているのも事実だ。サンキュー映画。エンタメって素晴らしい。

 この映画は、吉岡里穂が演じる新人監督の斎藤瞳が主人公である。この映画は、主人公瞳の視点を通じて、「プロフェッショナリズムとは何か?」というテーマをいわゆるコミック的な演出でわかりやすくベッタベタに描く。したがって、登場人物は噂話をされている場面によく出くわすし、嫌なことがあると雨が降る中を走りだしてお約束のように転ぶし、変なところにアドバイスをくれるライバルは現れるし、役者陣の演技もややわざとらしい印象を受ける。とはいえ決してそれは作品にとってマイナスになってはいない。そのコミック的演出が、登場人物が抱く熱意を底上げして伝えてくれる。そこに畳みかけるお涙頂戴シーン・・・泣かないわけがなかったのである。

 つまるところこの映画で描いているのは、それぞれはそれぞれのプロフェッショナリズムに基づいて仕事をしている、ということだ。主人公の瞳は、序盤では、プロデューサーや編集スタッフ、アニメーターと上手くいかない。「自分が代打の新人監督だからだ・・・」というふうに思い込むわけだが、いろいろな経緯を経て、自分自身の原点と向かい合い、瞳なりのプロフェッショナリズムを発露していく。そして最終的には、お互いのプロフェッショナリズムを尊重しあうチームを率いて成長していく、という物語である。この映画では、「仕事とは、互いのプロフェッショナリズムを尊重し、自己のプロフェッショナリズムに基づいて遂行するチームワークである」というテーマが込められている。ここまでプロフェッショナリズムって何回言ったんだろう?

 働いている以上、この込められたテーマに心を動かされずにはいられなかった。手を抜いて働いている人なんていなくて、それぞれ自分なりに意識をもってかんばっているんだ。それをチームで成し遂げたときに感動が生まれるんだ。う~ん素晴らしい。逆説的にはそれが無くなったときは潮時ということで、この映画を観たことで当方は本格的に転職活動者となりました。そういう意味では、人生を動かした映画といえるのかも?

 とはいえ、その心が動されるのは、この映画がエンタメムービーであるからだ。だから、自覚的にコミック的描写を入れてベッタベタの展開で描いたのだと信じている。冒頭に書いたように、実際の世界はそこまでは美しくはない。ここで描かれた仕事観には賛同するし感動もするが、一歩間違えれば「やりがい搾取」の名のもとに人材を使い捨てる有力な根拠になりかねないし、これまでと今もそのように苦しんでいる人はいるはずであるからだ。我々エンタメの受け取り手は、その感動にあるものに自覚的であらねばならない、とチョー遠回りに促してくる映画であった。

 そしてさらに特筆すべきは、ジェニーハイの主題歌の『エクレール』である。映画を観た後、誇張抜きにこの曲しか聞いていない。すげーボップなサウンドに物語を投影した歌詞、キュートな歌い方とゲストボーカルの高野麻里佳・・・。「私の想像が勝って あなたの感動になるまで」とかいう誰でも書けそうで誰にも書けない歌詞・・・川谷絵音は改めて素晴らしいと実感した空母ポンタヌフであった。

 

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映画『プロミシング・ヤング・ウーマン(2022年)』を観た:ポップな復讐エンタメにみえる「痛み」の映画

Promising Young Woman Wallpapers - Wallpaper Cave

作品メモ

プロミシング・ヤング・ウーマン(Promising Young Woman) 2021年7月16日公開 113分 監督:エメラルド・フェネル

休日の朝にパインとキウイ食べながら観た

明るい未来が約束されていると思われていたものの、理解しがたい事件によってその道を絶たれてしまったキャシー(キャリー・マリガン)。以来、平凡な生活を送っているように思えた彼女だったが、夜になるといつもどこかへと出かけていた。彼女の謎めいた行動の裏側には、外見からは想像のできない別の顔が見え隠れしていた。

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観た理由

アカデミー賞にノミネートされていて興味があり、このたびAmazon Primeで配信されていたので。

感想

 ふらっとしたあらすじと映画のビジュアルしか知らずに「はいはいはい画がポップな感じの復讐劇を描いたスリラー映画ね面白そうじゃん」と軽い気持ちで観たのだけれど、決してそんな軽い気持ちで観るべきものではありませんでした・・・。単なる復讐劇を描いたエンタメスリラー映画ではなくて、ぱっと見てポップなエンタメのように見せた「痛み」を中心に据えた映画だった。

 

1番ポップでよかったシーン。ポテチパーン!!素敵

 ここでいう「痛み」とは何かというと、直接的な暴力や暴言というよりも、その出来事によって出来た傷がじくじくとする「痛み」のことだ。そういえば、この前1巻目が無料だったので『ダーウィン事変』を読んだ。そこでチンパンジーと人間のハーフのヒューマンジーであるチャーリーが「心理的な痛みを与えたものは、そのときだけじゃなくて今この時も危害を与えているのと同じだ」と言っていた。センキューチャーリー。俺が言いたかったのは、まさにそれです。昔言われてイヤだったことや恥ずかしかったことを思い出すことがある。きっと言った本人や周りは覚えてもいないだろうけど、そのことによって心はじわじわと蝕まれていく。その度合いは人によって違うんだろうけど、きっと誰しもが経験していることのハズである。とはいえ、誰かの心に傷を残すような出来事は、絶えない。ニュースで見聞きするような大きな出来事もあれば、それぞれの周囲のコミュニティで起きている小さな出来事もそうだ。ここで小さな出来事と形容したのは不適切かも。社会的な影響力の大小は語ることはできるけれど、それが小さいか大きいかは個々人によって違うからだ。

 本作ではその大きい小さいの話だ。その出来事を大きい物事だと捉えた主人公キャシーは夢だった医者になることを諦めて医大ドロップアウトしたし、そのキャシーの親友であるニールは自分を喪失し命を絶った。ところがその出来事を小さい物事だと捉えた周囲は、全くその出来事を覚えていなかったり、あのときは子どもだったんだと自己弁護をしたり、そっちにも非はあっただろと抗弁をしたりする。まあ覚えてもない終わった過去の話を蒸し返されたら自己防衛もしたくはなるのかもしれないが、それは自分自身の視点からの話だ。自分自身や自分の大切なひとに置き換えたらどう思うか、ということを主人公が具体的な手段を用いて問いていく復讐劇の話である。そしてその復讐劇は、無力感をまとった胸糞の悪さがあってスカッとしない結末を迎える。「う~んマジ?ウーン!」という感情変化をしたが、この物語はこの結末でよかったんだと思う。スカッと終わる結末を描いてしまったらそれは完全なるフィクションになってしまう。スカッと終わらず胸糞が悪い結末ばかりなのが、今の世の中だからだ。ラストのシーンである種の救いがあったのは、この映画の製作陣のこうなってほしいという祈りなんだと思った。

 この映画で描いている出来事は、誰かに残した残しうる残された傷の話である。それは誰もが加害者になりうるし被害者にもなりうる話である(例えば主人公のキャシーがクラブの前で恋人ライアンと出会うシーン、ライアンがマジの善人だったら、キャシー自身も心の傷を与えてしまうのでは?)。そして加害者と被害者だけの話だけでない。自分自身が無自覚なのか自覚的にか、作中でも指摘されていたとおり、Innocent Bystanderになってしまっていないか。

 みたいなことを思った作品だった。あと『ダーウィン事変』の続きが読みたいと思った。電子書籍かな~。

 

 



 

映画『シン・ウルトラマン(2022年)』を観た:公開してくれるだけでハナマル!!だが、それでいいのかウルトラマン

ついに観たぜ!!

作品メモ

映画『シン・ウルトラマン』公式サイト

シン・ウルトラマン 2022年5月13日公開 112分 監督:樋口真嗣 配給:東宝

近所のデカ映画館の初日レイトショーで観た

謎の巨大生物「禍威獣(カイジュウ)」が次々に現れ、その存在が日常となった日本。通常兵器が全く通用せず事態が長期化する中、政府は禍威獣対策の専従組織・通称「禍特対(カトクタイ)」を設立する。田村君男(西島秀俊)を班長に、さまざまな分野のスペシャリストから成るメンバーが任務に当たる中、銀色の巨人が突如出現。巨人対策のため、禍特対には分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)と組む。

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観た理由

ウルトラマンが好きだから。

感想

ウルトラマンシリーズと空母ポンタヌフ

 ウルトラマンシリーズは、幼いころのバイブルであった。自分が創作物の面白さに触れた原体験だといえる。物心がつくまえに『ティガ』『ダイナ』を観ていたらしく、フリーマーケットウルトラ怪獣ウルトラマンのソフビをひたすらに買いあさっていた。フリーマーケットといえば、いまはフリーマーケットは存在しているのだろうか? メルカリやヤフオクの台頭に加え、コロナ禍による清潔意識の高まりと機会損失で、もはやあの空間は絶滅したのでは… と思ったが、まだやっているようだ。今度どこかのフリーマーケットに行ってみたい。そんなことはさておき、ソフビからウルトラマンの世界に足を踏み入れたポンタヌフ少年は、昭和時代のウルトラ怪獣大図鑑などの書籍を読み漁り、『ウルトラマンガイア』をしっかり作品として見届け、空想科学好きの特撮爆発怪物好きの少年に進化したわけである。それから大きくなるにつれ、近所のGEOで『ウルトラQ』『ウルトラマン』を借りてイッキ見をしていた。その後、ポンタヌフ少年は中学生になり、特撮よりもゲームが好きのメインになっていった…。

 というわけで、ウルトラマンシリーズは自分自身の趣味趣向の方向性を決定付けた作品である。ある種、この現実と地続きの世界で、ウルトラマンは正義のヒーローとしてあるべき姿を人類に示し、導いていく。人類は人類で諸手を挙げてウルトラマンに迎合するのではなく、自分たちの力で未来を切り拓こうとする。我々に与え与えられるヒーロー像としてのウルトラマンを見て育ったポンタヌフ少年は、そして大人になった。社会に出て働き始めてくたびれたポンタヌフ青年は、『シン・ウルトラン』の特報にココロオドルアンコール沸かすDANCEDANCEDANCE!なわけだ。

 その後、コロナ禍による社会的閉塞感もあり体感時間としてはメチャクチャ長い公開までの期間を経て、あの日のポンタヌフ少年は結婚したりしてポンタヌフ壮年に片足を突っ込みつつあるものの、ついに『シン・ウルトラン』の公開日を迎えたわけだ。そんな全身全霊の期待を背負い、劇場に向かったので、作品の感想を書いていく。

 

あの日あの時あの場所のウルトラマンがそこに!!

 あの日あの時あの場所で見ていたウルトラマンがそこに!! というのが一言感想である。テレビシリーズで見ていたものが、この2022年に劇場の大画面で観れるなんて・・・それだけで感無量である。あの日のポンタヌフ少年は手を握り歯をくいしばり前のめりになりながらスクリーンに齧りついていた。あのマーブル調でぐるぐるまわるウルトラQのオマージュ、そしてウルトラQのデレデレデレデレデレデレデレデレデレデレデレェーンデレェーンというあのBGMからのかの怪獣たち!!そして開始10分もしないうちにネロンガ!!ウルトラマン降着!!なんだこれは!!!そしてめくるめく怪獣やら外星人!!現代の東京で戦うウルトラマン!!ん?!!マルチバース?!なるほど別次元からウルトラマンは出てくるのか!!手が出てくるのカッケー!!!!ぞーフィ!?ゼットンでけーーあっもう終わるの?? という感じの112分であった。

 あの日あの時あの場所でウルトラマンと巡り会えてよかったし、いまこのときこの場所でシンウルトランを観れてよかった。センキュー。という、ウルトラマンの原体験が自分の根底にありすぎてまともな評価ができません・・・。公開されただけでハナマルをあげよう。

とは言うものの、それでいいのか、ウルトラマン

 とは言うものの、「これダイジェスト版では??」と思ったのも事実である。テンポよくサクサク進んでいく物語や情報量の多いセリフや画面が多い。また、カメラワークもぐんぐん切り替わっていくため、それがスピード感を助長する。禍特対の面々のパーソナリティや関係性、あるいは行政側の対応のようすなど、余裕がないというか詰め込まれた感がある。そのせいか、ラストの「そんなに人間が好きになったのかウルトラマン」に説得力が少し薄くて脳内補完が必要だった。怒涛の情報インプットと怒涛の脳内補完で、見終わったあとは少し脳が疲れてしまいたました・・・。

 ダイジェストゆえか、魅せ場魅せ場は素晴らしいものの、作品全体としての大クライマックスがない。最後のゼットンも誰もいない遥か彼方でウルトラマンが光線撃って10秒位で敗北をしたが、その敗北もなんか絶望感にかける。ウルトラマン不在のなか人類の叡智で解決をする方法も、インプットはウルトラマン頼みでアウトプットもウルトラマン頼み、人類が解決策をどうにかこうにかするところもビジュアル的に燃えなかった。性急に話を畳みにいった感が拭えなかった。使徒ゼットンはかっこよかった。昔のウルトラ怪獣のヴィジュアルは完成されている。

 ダイジェスト版っぽくなっているがゆえ、あのときのテレビシリーズの活劇感が増幅されたのも事実である。ただそれが刺さるのは往年のファンであって、映画作品としてはどうなのかな〜と思うところがあった。

さらに、とはいえ、

 現代のこの世界に怪獣や宇宙人などのウルトラマンが降り立つとどうなるか?という取り組みは、空想科学作品としてヒジョーに面白いものだった。VFXも多少あらが目立つところもあるが、外連味(人生で一度は使ってみたかった言葉である、初めて発した言葉だ・・・意味はなんとなくしかわからない)があって味わいがある。面白いので映画ではなく、ドラマとしてやってほしい。NetflixなりAmazonなりAppleなりの巨大資本と組んだ潤沢な資金に支えられたシンウルトラQを期待したい。

 この令和の世の中でかつてのノスタルジアに浸ることができて大満足のポンタヌフ壮年であった。ちなみに全く予備知識のない妻は「あんまよくわからないけど、ファンは嬉しいんだろうねぇ〜」と言っていたので、それがこの映画を言い表している気がする。

補足:好きなシーン

・大好きな怪獣のペギラ出現!!東京氷河期!!

・科特隊出動!!のBGM!!!

ウルトラマンの高速回転シーンとその効果音が聞けて最高。ガボラへの高速回転キックのアイデアもすごい。

・ザラブ扮するにせウルトラマンへのチョップで痛がるウルトラマン!!

ゼットンの火の玉は1兆度!!星だけじゃなく太陽系も吹っ飛ぶ柳田理科雄空想科学読本ネタやんけ!!!ウオオオ!!

映画『トップガン(1986年)』を観た:トム・クルーズのカリスマ性と迫力あるドッグファイトがチョーかっこいい

作品メモ

トップガン(原題:TOP GUN) 監督:トニー・スコット 1986年12月6日 110分 パラマウント・ピクチャーズ

AmazonPrimeでラップトップで寝転がりながらGWに観た

カリフォルニア州ミラマー海軍航空基地。そこにF-14トムキャットを操る世界最高のパイロットたちを養成する訓練学校、通称“トップガン”がある。若きパイロットのマーヴェリックもパートナーのグースとともにこのトップガン入りを果たし、自信と野望を膨らませる。日々繰り返される厳しい訓練も、マーヴェリックはグースとの絶妙なコンビネーションで次々と課題をクリアしていく。しかしライバルのアイスマンは、彼の型破りな操縦を無謀と指摘する。その一方で、マーヴェリックは新任の女性教官チャーリーに心奪われていく。

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観た理由

・『トップガン マーヴェリック』へ向けた予習。

・昔の映画を機会があれば観たかったから。

感想

 『トップガン マーヴェリック』が今月末に今回される、ということで、前作を観てみた。爆発したり怪物が出たりアクションしたりする映画はすごく好きなのだけれど、このようなミリタリー的なものは、思えばなかなか観たことがなかった。このまえフリープレイで落ちてきた『バトルフィールド1』をプレイしたくらい。

 まず、冒頭の夕日をバックにした空母のシーンがカッコいい。そのまま冒頭のMigとのドッグファイトのシーンが入る。そこで主人公の天才的な技量と大迫力の空中戦を見せつけられて「うおおッカッケー」となっていく。こんなパイロットいないだろ、という気にもなってしまうものの、トム・クルーズのカリスマ性でなんとく腑に落ちてしまう(笑) トム・クルーズのカリスマ性と迫力あるドッグファイトの描写が非常に魅力的な作品であった。

 とはいえ、ストーリーの構造的には、なんとも平々凡々という印象は受けた。ヒロインとの恋愛模様、ライバルとの切磋琢磨、親友の死という挫折、挫折からの復活、そして最後の魅せ場のドッグファイト…。逆にストーリーが平凡でまっすぐだからこそ、トム・クルーズと空中戦のカッコよさが際立つのかなという印象を受けた。劇場で観るとメチャクチャカッコいいんだろうな~と思いながら、続編も非常に楽しみになってきました。大迫力なんだろうな~。

 そしてWikipedia先生によると、本作に登場する航空機は基本的にすべて実機で撮影していて、実機の航空アクションは実際に撮影されているとのこと。す、すげー…! 40年近く前の作品であるのにも関わらず、そして劇場ではなくSurfaceで観たのにも関わらず、ド迫力の作品として楽しめたのは、こういうこだわりのもとにあったのかとプチ感動した。続編である『トップガン マーヴェリック』も実際の戦闘機にIMAXカメラを乗せて撮影したらしいので、どのような映像体験が楽しめるのか乞うご期待であった。

 このようなこだわりにこそ神性は宿るのだと思い、GW明けの仕事もまあがんばるんと思う空母ポンタヌフであった。

小説『テスカトリポカ』を読んだ:インターナショナル・ウシジマくん×アステカ信仰な世界観のクライムノベル

 

 

作品メモ

テスカトリポカ 2021年2月19日発売 著:佐藤究 出版社:KADOKAWA 560ページ

近所のデカブックオフで買った

メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラは、対立組織との抗争の果てにメキシコから逃走し、潜伏先のジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会った。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へと向かう。川崎に生まれ育った天涯孤独の少年・土方コシモはバルミロと出会い、その才能を見出され、知らぬ間に彼らの犯罪に巻きこまれていく――。海を越えて交錯する運命の背後に、滅亡した王国〈アステカ〉の恐るべき神の影がちらつく。人間は暴力から逃れられるのか。心臓密売人の恐怖がやってくる。誰も見たことのない、圧倒的な悪夢と祝祭が、幕を開ける。第34回山本周五郎賞受賞。

読んだ理由

・おすすめ本のツイートがTwitterに回ってきたため購入した。2月くらいに買ったけど、ようやく読み終わった(笑)

感想

 「インターナショナル・ウシジマくん」たるストーリーで大変好み。亡国の麻薬密売人と医学界を追われた天才外科医と天涯孤独の移民2世を中心にしたクライムノベルである。そして古代アステカ文明の思想が物語に関わってくることから、どこか神聖みを帯びた作品として仕上がっている。

 アングラ/裏モノ的な話が俺は好きである。出会いは小学生のころ、帰省先の叔父の部屋に置いてある、いわゆる「ワンコインコミック」である。こっそり叔父も両親も寝静まった夜にこっそり読んでいて、オカルトなりアングラなりへの興味が形成されてしまったわけである。絵柄ゆえの胡散臭さがどこか心に残っている。いまは小学生でもSNSへアクセスできる時代であるから、こういう話にもアクセスしやすいんだろうな~と思う。良し悪しは、きっと悪しのほうが多いんだろうけど。

拾い画だけどこんなやつ。うさんくせーけど好きだった

 何が言いたいかというと、このころ読んだ胡散臭い「ワンコインコミック」のアングラの世界観が本作では丁寧に描かれている。加えて描かれる舞台は日本だけではなく、インターナショナルである。日本の暴力団や半グレだけでなく、中南米の麻薬カルテルから東南アジアのチャイニーズマフィアまでが描写される。さらにストーリーの根幹にアステカ神話が据えられるため、神聖を帯びていく。脳内で描写される絵柄は、ワンコインコミックやウシジマくんのようなものではなく、どちらかというかダークでノワール的なアメコミ絵柄がイメージされる作品であった。これがわりとしっくりくる表現である。

 物語のサマリーをする。メキシコで抗争に追われた亡国の麻薬密売人が、インドネシアへ流れつく。これまた日本を追われた天才外科医と出会う。亡国の麻薬密売人は、祖国で教わったアステカ信仰と臓器売買を結び付ける新しいビジネスを川崎で始めていくが――。みたいな話である。その犯罪シンジケートを軸にした話と、麻薬戦争で祖国を追われたメキシコ移民2世を軸にした話の二軸で物語が進んでいく。いずれにしても、物語が前に進んでいく原動力はスゴイ。ところどころ描写されるアステカ信仰が多少鬱陶しく感じる部分もあったが、ふたつの軸が交わる中盤から後半にかけては一気に読み上げることができた。

 前段に書いたアングラ/裏モノが面白いのは、真偽のほどはさておき、自分が過ごしている日常生活の裏に「えっ!?こんな世界があるの?!」という感想を抱けるからだ。綿密で具体的な描写が多いほど現実味が増し、面白さを感じる。この作品は地名なり装備なりにヒジョーに具体的な固有名詞が出てきて、細かい一挙一動の描写までをしていくれるので、本当に存在する世界として脳内で描写されていく(本当に存在するんだろうけど)。また、細かい描写がゆえの暴力描写も多々含まれていくわけだが、そこがアステカ信仰と結びついていき、どこか現実との境界があいまいになっていく。基本的には現実的な描写なんだけれど、ある段階では古代信仰を描いた神秘的な描写になってきて、何を読んでいるのかわからなくなってくる。クライマックスは、いよいよその境界がわからなくなってきて、古代アステカ信仰が現代日本で復活したかのような錯覚を覚える。う~ん面白い。固有名詞がメチャクチャ出てくるがゆえに序盤で躓いて読むのに3か月くらいかかったけど(笑)

 思うにこの小説は、「資本主義」と「無垢性」の話である。現代資本主義のネットワークを伝って古代アステカ信仰と結びついた麻薬密売人の思想は広がっていき、現代資本主義の闇を隠れ蓑として犯罪シンジケートが育っていく。「無垢性」はこの物語のキーワードである。麻薬密売人は無垢な子どものころに、アステカ信仰を(それはそれは都合の良いように)叩き込まれてしまったことで、この物語は始まっていく。また、この物語を終わりに導いていくのも、天涯孤独の移民2世の少年の無垢性である。イノセントな子どもたちをどういうふうに染めていくのかは、環境とか世の中とか大人たち次第なんだな~という感想を抱いた空母ポンタヌフであった。

 あと、「マクアウィトル」という武器をはじめて学びました。カッケー!!! ゲームで出てきたら積極的に使っていく。

マクアウィトル

 

 

 

映画『死刑にいたる病(2022年)』を観た:恐怖の阿部サダヲ!!めちゃおもろいサイコパス・ホラー・サスペンス!!

カッコ死刑にいたる病」ポスタービジュアル [画像・動画ギャラリー 1/6] - 映画ナタリー

作品メモ

死刑にいたる病 監督:白石和彌 2022年5月6日公開 129分 クロックワークス

近所のデカ映画館のレイトショーで観た

理想とはかけ離れた大学生活で悶々とした日々を過ごす筧井雅也(岡田健史)のもとに、ある日1通の手紙が届く。それは大勢の若者を殺害し、そのうち9件の事件で死刑判決を受けている凶悪犯・榛村大和(阿部サダヲ)からのもので、「罪は認めるが最後の事件は冤罪(えんざい)だ。犯人はほかにいることを証明してほしい」と記されていた。かつて筧井の地元でパン屋を営んでいた旧知の榛村の願いに応えるべく、筧井は事件の真相を独自に調べ始める。

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観た理由

・予告編がおもしろそうだったから。

感想

 阿部サダヲを中心に登場人物がほとんどイカれてるサイコパス・ホラー・サスペンス!!

 白石監督の作品は、『日本で一番悪い奴ら』『孤狼の血』『孤狼の血LEVEL2』の3作品を観たことがあるけれど、いずれもドハマりした。ヤバいやつのヤバく描く、そして単に胸糞が悪いだけどはなくエンタメとしてもおもろい、サイコパスエンタメ監督として勝手に理解している。どうやら『仮面ライダーBLACKSUN』なるリブートも今年やるらしく、仮面ライダー観たことないけど勝手に楽しみにしている。今作もこれまでの作品にもれず、ヤバいやつをヤバく描くサイコパスエンタメ映画であった。

 Fラン大学に通う主人公雅也は、祖母の葬儀に参列するため実家に帰る。どうやら実家は地獄であったようだ。母親は「私は何も決められないから…」とお通夜のビールの追加する本数すら決められず、父親は親戚に「大学で頑張ってるんだって~」と言われる雅也を睨みつける学歴コンプレックス野郎だった。そんななか、実家の住所に自分宛の手紙が届く。その手紙は、24人を殺害したシリアルキラーの榛村大和から「面会に来ないか?」という手紙だった…。という話だった。

 阿部サダヲ演じる榛村大和を中心に、だいたいの登場人物がイカれている映画だった。今作のシリアルキラーである榛村大和は、「目は口ほどに物を言う」という諺を擬人化したような人物である。表の顔はパン屋で言葉巧みに被害者と信頼関係を構築し、そのうえでいたぶって、それこそ絶望を味合わせるのに快感を感じるマジモンの猟奇殺人鬼である。その前提を序盤で刻まれたうえで、面会室で主人公の雅也と面会するシーケンスが多々ある。そこで榛村大和がとばすサイコパスギャグがメチャクチャ面白い(笑) 「君の地元に殺人鬼がいるってことだよ!? …まあお前が言うなって話か…」「僕がいうのも変な話だけど、真犯人の捜査は本当に気を付けてね…」みたいな、普通に相手心配するだけでギャグになるという、なんだか新境地のサイコパスコメディシーケンスがあって、面白かった。

なんかゴールデンカムイの絵柄を思い出したのおれだけか


 そんな榛村大和に対峙する主人公雅也。中学生のころの行きつけのパン屋の店主だった榛村大和に面会し、彼の依頼である「最後の殺人の真犯人探し」を進めていく。大学にも家庭にも居場所がない雅也は(大学のシーンで周りがいつもスローモーションなのはなんかわかるな~という演出だった。周囲にマジで興味がないとあんな感じに錯覚かるので。)、榛村大和の依頼に基づき調査を進めていく。どうみても陰気で主体性のない大学生だった雅也が、弁護士の名前を騙った名刺を印刷し聞き込みをするなど、異常な捜査能力を発揮する。警察か弁士になったほうがいいレベルである。そしてそれを見守り、サイコパス・ギャグを飛ばしながら理想的なメンターとしてコーチングをする殺人鬼・榛村大和。何を見ているのかよくわからなくなってここで少し笑ってしまった。

聴かせてやるよ、論理(ロジック)の律動(リズム)を・・・って感じ

 捜査を進める雅也は、最後の殺人の真犯人は、北村というロン毛男である可能性が高いこと(ガリレオガリレイのボーカルにしか見えなくて、いま聴きながら記事書いている。『さよならフロンティア』が好き)。北村は被害者ともつながりがあるし、よく殺人現場に手を合わせに来ていたらしい。それを聞いてメチャクチャ褒める榛村大和。人を動かすための本とか書いたほうがいいレベル。果たして、この物語の行く末はどうなるのか…、とストーリーに沿って進めてみたが、疲れてきたのでこの辺にしておく。

ガリレオガリレイのボーカルにしか見えない岩田剛典演じる北村


 このあと森林での雅也vs北村のフィジカルサイコパスバトルシーンがあったり、実家での地獄の一家団欒ンがあったり、見どころは尽きない。ごりごりの推理モノとして期待していくと肩透かしを食らうと思うものの、ヤバいやつをヤバく描くサイコパスエンタメ映画としてかなーり楽しめた作品であった。

 ただ、榛村大和の犯罪を描くバイオレンスシーンは、かなり直接的に描かれるのでニガテなひとをだいぶニガテだろうと思うし、自分自身もうげ~という感じだった。もうすこし間接的に描いても本論には影響はなかった気もするので、ここで人を選んでしまう作品になってしまっているので、少し残念に感じる。

 君にジュースを買ってあげる♡オジサンだと思っていた阿部サダヲをこんな恐ろしい存在だと思うことになるとは・・・と思った空母ポンタヌフであった。

 

 

 

 

 

ドラマ『ムーンナイト(2022)』を観た:過去の自分自身が唯一のスーパーパワーであるということ

画像

作品メモ

ムーンナイト(原題:MOON KNIGHT) 2022年3月30日配信 全6話 Disney+

毎週水曜日のお楽しみとして観た

「現実か夢か、区別がつかない――」意味深なセリフを放つ彼の名はスティーヴン・グラント。国立博物館のギフトショップで働く温厚で、うだつの上がらない主人公。睡眠障害を持ち、夢の中で度々白いスーツを着た男と対峙するが、それが現実で起こっていることか、ただの夢か区別がつかない。

夜通し悪夢にうなされては、仕事場で「役立たず」と罵られ、スティーヴンはいつも幻覚に怯える日々を過ごしていた。 ある日、自室の見知らぬ携帯電話が鳴り響き、“マーク”と知らない名前を呼ばれ困惑する― 自分は誰なのか、何に怯えているのか。やがて自分の中に“自分以外の誰か”が潜んでいることに気づき始める。

コントロールできない“もう一人の自分”― それは、冷酷な暗殺者 マーク・スペクターだった。
マークに狂気が宿る時、ダーク・ヒーロー<ムーンナイト>が誕生する――。

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観た理由

MCUがスキなので。

感想

 これまでMCUのフェーズ4作品は、これまでのフランチャイズ作品との歴史やサプライズに頼った作品が殆どだった。今作は初めて登場するキャラクターということもあってからか、「エジプト神話風サスペンスアクション」として成立していた(と思う)。ちゃんとMCU作品とのつながりを断ち切って描写していたのもGOOD。ロンドン橋が移って「あ~ファーフロムホームでの戦いから復興したんだな~」と思ったのと(もしくはファーフロムホームの前だったりするかも?)、タウエレトが「祖先の平原」と言っていて「ブラックパンサーのアレ!?」と勝手にオタクが想像を膨らませたくらい。

 ドラマの描き方も巧みだった。1話・2話は一般人であるスティーブンの視点で話が進む。スティーブンに浮かんだ「?」は、そのまま視聴者にとっての「?」になっていき、どんどんストーリーにのめりこんでいく。3話目では構造が一変して、傭兵であるマークの視点で話が進み、ストーリーの背景が明らかになっていく。4話目からは人格の奇妙な人格の共存関係で、『アンチャーテッドシリーズ』ばりの古代遺跡でのアクションアドベンチャーが進んでいく。毎回ストーリーの構造がくるくる変わって、退屈することがなかった!! というのが、ストーリーラインに対する感想である。

 エジプト神話を世界観に組み込んだ壮大なストーリーであるのに、話の最終的な帰結は「自分自身に向き合うこと」だったのも素敵だった。自分自身が辛い過去に向き合わないことによって生まれたしまった人格に対して、主人公のマークスペクターが向き合い手を差し伸べて抱きしめることに話が帰結するのが非常に良かった。

 特に最終話はメチャクチャ面白かった。マークがスティーブンに対して「You are the only real superpower….」と語りかけるシーンで胸が熱くなり、怒涛のアクションシーンが続き、ヒロインのレイラがワンダーウーマン1984みたいスーツを着たヒーローになり、エジプトの神々はウルトラマンばりの大怪獣バトルを繰り広げる(ここでのコンスが「なWhy fight,knowing you will fail?」と訊かれたのに対して「Because it is my choice!」と返したのもヒーロー然としていた。エンドクレジットシーンで悪神だと思ったけど(笑))。ながながと熱に浮かれて書いたが、最終話は胸熱シーンがたくさんだということだ。フェーズ4の作品は、過去の選択や自分自身を認めていいんやでというメッセージを多岐にわたって感じるポンタヌフであった。

 そしてMCUという文脈で『ムーンナイト』を考えてみる。フェーズ4作品のテーマは、「内省」と「拡張」という理解をしている。壮大な世界観のなかで描かれているのは、自分自身と向き合うという自分の心のなかという最もせまーい世界での話、というこの相互矛盾的な要素があるのが、言語化しにくいけど、フェーズ4の良さととらえている。その意味で、『ムーンナイト』はどちらの軸も極限まで振り切った作品だった。「内省」についていえば、その表現どおり自分自身と向き合い自分自身が唯一のスーパーパワーだとまで言い切るまでの物語である。「拡張」は、地球の神話が物語に組み込まれたことである。なんか特に説明もなくエジプト神話が実在のモノとして描かれていて、その説明も特にない。荒唐無稽なものを見せられているわけだけど、MCU10年間の構築があるので「まあアリかな~」と受け入れてしまう。北欧神話・エジプト神話と来たので、神話実写化シリーズを地味~に楽しみにしたい。次は『ソー:ラブアンドサンダー』でギリシャ神話かな?

 本作を見て、70%くらいやったけどクリアしていない『アサシンクリードオリジンズ』を思い出した…。GWも残り3日くらいだけど、クリアまでやりたくなった。もはや操作覚えてないけど。ソー観た後は『アサシンクリード:オデッセイ』を買うことにするか!! エンタメの波は続いていく・・・。