子ども向けホラー作品としてはハナマルな『変な家』

 

『変な家』っていう本が書店に並んでいるのは認識をしていたが、実際に殺人事件があった家とか法律とか増改築の制約によって魔改造された間取りになった家とか実際に存在する・した家を紹介する『怖い絵』の続編だとずっと思っていてスルーしていた。なぜなら『変な家』の作者のもう1作の『変な絵』も一緒に並んでいたからだ! これは同じようなシリーズ作品と誤解するのも無理もない。

 そんな私の『変な家』との出会いは、昨年の初秋くらいの時期である。『コワすぎ!』を劇場で観たあとに『近畿地方のある場所について』を読破した時期である私はホラーモキュメンタリーに飢えており、もろもろ書店を彷徨ったところこの作品がそのジャンルに位置付けられるものであると知った。買って読んでみたら面白かったので、『変な家2』と『変な絵』も買って読みました。

 小説といえど、ごりごりの文学作品というわけでもなく、しばらく活字から離れていたアラサーにとっては本の面白さを改めて知らしめてくれるよい機会となった。このインターネットが跋扈し人の集中力が5分も続かずイントロはどんどん消滅していくこの時代に、読みやすい筆致体で書かれつつも、人間の恐ろしさが感じられるジメジメした日本のサスペンス・ホラーという作品で、かなり楽しむことができた。

 『変な本』は、オカルト雑誌のライターがおかしな間取りに隠された事実を解き明かしていくという作品である。そのため、小説というよりはオカルト雑誌の記事あるいは手記のような、モキュメンタリー形式の作品である。まさにオカルト雑誌の記者という設定は、書籍という媒体にピッタリなもので、ところどころ思い出すように差し込まれる間取り図も親切でわかりやすい。かつ、終盤には人間の業のようなものも感じられて、ゾッとするオチも用意されている名作である。

 さて、そんな『変な家』が映画化するというので、今度は映画という媒体を活かしたガチモンのホラーモキュメンタリー映画が爆誕するぞ!と思っていたところ、(まあ予告編とかキャストの段階でわかっていたことなんだけれども)そんなことはなく、10代前半向けのホラーチック娯楽映画と成り果てていた。さらに終盤の展開はかなり魔改造されており、さながらバイオハザード4の低予算実写版のようであった。終盤の因習村シーンの美術や衣装はとてもそれっぽくサイコーなのだが(『女神の継承』とか『呪詛』を思い出した)、それがゆえに子ども向けに振り切ってしまったのが残念だと感じた。そのせいで本家が変な間取りであるという設定が全く活かされていない。村人が総出で客人を殺しにくるならそもそも変な間取りを作ってこっそり人を殺す必要もないだろ!と突っ込みたくなる。さらに終盤の怒涛の展開はたしかに妥当なのだが、チェンソーを持ったババアが現れたと思ったら石にチェンソーがハマって動けなくなったり、大怪我をした本家の人間がなぜか復活していたり(早すぎて俺じゃなきゃ見逃しちゃうねレベルで動いていることになる)、レンタカーを因習村に放置していたりなど、なかなかツッコミどころが満載である。近くの席の小学生ですらツッコんでいた始末である。

 とはいえ、小学生の集団がジャンプスケアや肉体欠損描写にビビっていたり、終劇後に「楽しかった〜」と話しているキッズをみたり「これでもうホラーは大丈夫だ!」みたいなことを話している小学生をみていたら、これはこれでいいんじゃないかという気がしてくる。次世代にホラーやモキュメンタリーの面白さを伝える役目を少なからず果たしており、このジャンルの新しい才能を発掘しファンダムを拡大する意義があると思う。それこそが、もともとの原作が子どもが好きなメディアのYouTubeという媒体である意味であるのではないだろうか。まあ、劇中の会話も気にならないくらいの感じで映画を見てたということでもあるのだけど。

 先に述べたとおり、YouTuberを主人公としてその動画や取材用素材を組み合わせた骨太のガチモンのモキュメンタリー作品としてまとめたらかなり面白くなったような気がする。俳優の演技や美術、衣装などのディテールは優れていただけに、残念な作品ではあるが、子ども向け作品としては花マルだろう。

面白すぎて感想書くの忘れていた『ゴールド・ボーイ』

 

 帯状疱疹でかなり辛く退屈な日々を送っている。働かないといけないので仕事を全てのHPを使い果たす日々なので、先週に観たけど面白すぎて感想を書くのを忘れていた映画である『ゴールド・ボーイ』の感想を書こうと思う。

 仕事終わりに観に行ったのだけれど、観終わったあとは、「おもしれー!!」という感想を抱きニコニコしながら家路につき余韻に浸りながら風呂に入り布団にもぐって心地の良い眠りにつきかなり満足してしまった。良質なエンタメを摂取したときのあの満足感を感じられるのは間違いない。

 この映画の原作は、中国の人気ドラマの「隠秘的角落」であり、さらにその原作の小説が「坏小孩」というもので、邦訳版も出版されている。「三体」といい「羅小黒戦記」といい、ここ最近の中国IPの躍進は目を見張るものがある(「三体」はいま原作小説を読んでいて、「羅小黒戦記」は観たことがないけどテレビでやっていたのを録画はしている、いつか観る)。アジアの文化やポップカルチャーという面においては、日中韓台の東アジアの各国が互いに伍して競いつつ協力しつつ発展していくことを望むばかりである。

 さて、この『ゴールド・ボーイ』の製作には中国資本が入っていることもあってか、ひとつひとつの画作りや演出が非常に丁寧である。逆に画が丁寧すぎて「オイオイふつーそんなことしないけどな」みたいなシーンもあるが。よくある洋画と比較する文脈で邦画が批判されるような、安っぽい画づくりという批判はこの映画にはみられないだろう。個人的には、会長の葬式のロジについて会議するザ・日本企業のシーンが大好き。

 加えて触れておくべきは、キャスト陣の魅力である。言わずもがな全員素晴らしいのだが、岡田将生羽村仁成の演技が素晴らしい。本作の監督は実写映画版デスノートを撮った金子監督であるが、図らずも令和版『デスノート』と言わんばかりの印象を与えてくれる。それも夜神月とLとして対峙するわけでなく、夜神月と次世代の夜神月として対峙してストーリーが進んでいくので、訳が分からないほど面白い。生粋のサイコパスあるいはソシオパスである岡田将生が、サイコ才能を目の前で開花させる羽村仁成を目の当たりにして「おいおいマジか…!」と目を見張るシーンがとても好き。 そして星野あんなの存在がこの作品全体にジュブナイルものの切なさを添えてくれる。これは脚本的な役割自体もそうなのだけれど、役者として醸し出す雰囲気がそれをブーストしている。彼女の存在によって、この映画はひと夏の大冒険的なジュブナイルものとしての得も言われぬ切なさを感じることができる。青春映画といっても過言ではない。

 この映画を日本版としてローカライズするにあたって、選ばれた舞台は沖縄であった点にも触れておこう。これは原作のエッセンスとされている貧富の格差を描くにあたって日本においてベストロケーションが沖縄であったことと、日中(そしていまは米)の分的な結節点であることが理由であろう。基地ビジネスで財を成した政商一族は日本の田舎であればどこでも出せると思うが、沖縄であるがゆえにどこかエキゾチックな感じがしていい味を出している(これは沖縄=日本本土から遠く離れた異国の地であるという無意識の偏見な気がするが)。劇中では「日本オワタ」みたいな発言が子どもの側からも大人の側からも何度かなされるわけであるが、このようなダークな物語が生まれてしまう土壌を生み出すことに自分たちも無意識に加担していないか自らを省みることが必要だとも感じられる。劇中でも印象的なシーンで米軍機が空を飛んでおり、説教臭くない程度に沖縄における米軍基地問題と貧困いうものが描写されている。

 いろいろ言ったものの、良質なエンタメなのでとにかく観てほしいポンタヌフであった。

 

 

 

『マダムウェブ』を擁護する感想記事

 先週『マダムウェブ』を観ました。当方がにわかアメコミファンということを差し引いても、十分にオリジンストーリーとして感動できる面白い映画だったと評価いたす。

 ところが映画レビューサイトのRotten Tomatoでの批評結果は以下のとおり。

www.rottentomatoes.co

 

` 個人的には、そんな下馬評を覆すエンタメ作品として良質だったと評価をしたい。まさに本作のエンドで言っていた「未来はわからないから面白い」的なことなのであり(観てから1週間経っているので記憶が定かではないけれど)、世間の評価がどうであれ面白いかつまらないかは劇場に行くまではわからないのである。そう思わせてくれた映画作品ということで、なかなか個人的琴線には残る作品ではあった。

 

 まず、プロモーションの問題を抱えていることを指摘したい。日本市場における「マーベル初の本格ミステリーサスペンス」という謳い文句は失敗である。この謡い文句は、消費者庁案件レベルのウソと言ってよい。当方はにわかアメコミ好きなのでどんなプロモーションであっても観に行ったわけであるが、さすがにこの触れ込みのみで観た観客には同情を禁じ得ない。「本格」でもなければ「ミステリー」でもなく「サスペンス」でもないという...。そうでもしなければ予知能力のある体の弱った老婆というキャラクターの映画が日本市場でウケないのも理解はできるが、納得はできない。

 この映画は「家族」に関する映画であると整理をしたい。主人公のキャシーは、児童養護施設育ちで、身重の身体で現場調査に赴き命を落とした母親のことを恨んでいる。無意識のうちに自分と同じような境遇の子どもをうまないためにという意識からか、救急救命士の仕事をしている。しかしながら、自分の過去に向き合わないように、自分がそう思っていること、たとえ助けられた患者の子どもに感謝されたとしても認めようとしない。そんなキャシーは、救命現場における事故をきっかけに、予知能力に目覚め、そして今作のヴィランに命を狙われる3人のスパイダーガールズに出会う。というのが大まかなあらすじである。スイングできないスパイダーマンヴィランから逃亡していくなかで、スパイダーガールズたちはそれぞれの家族に問題を抱えていることを知った主人公キャシーは自分を彼女たちに投影していく。

 その過程で中島みゆきの糸的な家族像が描かれていく。自分が産まれる前から連綿と続く遺伝子が縦の糸として、そして自分が出会った人との紐帯が横の糸として描かれ、それを中心で紡ぐ存在として主人公キャシーは『マダム・ウェブ』として覚醒する。縦の糸として託された想いは継承されていき、またさまざまな人と協力することによってその託された想いをどんな未来にでもつないでいくことができる。ヴィランであるエゼキエルは自分が殺される未来をみてスパイダーガールズを殺そうとしていたものの、そんな決められた未来に逆らおうとする物語で非常に良かった。スパイダーマンたちはカノンイベントから逃れることができない、というメッセージは『スパイダーバース』っぽくてよい。

 また、コントロールのできない予知能力を持って超人的な身体能力を持っているヴィランを対峙していくのが単純に面白かった。一般市民が超人に抗うための手段が車でヴィランを轢くというのがあまりに現実的過ぎて笑えてくる。緊急避難的に窃盗したタクシーをぼろぼろになっても使い続けているのも、他に代替手段がない一般市民の窮地を表している。迫りくる超人から逃げ続けるという構図のアメコミ映画は他に例がなく、新鮮であった。

 運命は決まっているという毒を武器に戦ってくるヴィランを相手に、自分に与えられた武器をもって戦い、そしてついにはスパイダーキャラクターに課せられたカノンイベントを克服し未来を切り開いていくというキャシーの姿は、単純にアメコミ映画としての完成度が高いと思った。

フランチャイズの面白エッセンスを研ぎ澄まされた『犯罪都市 NO WAY OUT』

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犯罪都市 NO WAY OUT』、シリーズ3作品目ともなると「お約束」のパターンが決まってくるものだが、今回はそれをよりシャープにしてきた印象である。このフランチャイズの「お約束」と言えばなんだろうか。マ・ドンソクのステゴロ、強力班の仲間たち面々とのやり取り、そしてメチャクチャな悪意を感じる得体のしれない敵役。このあたりがこのフランチャイズの魅力といえる。

 今作では、1作目・2作目の仲間たちである強力班の面々は出てこない。マ・ドンソク演じる主人公ソクトは広域捜査班に配置換えとなっており、かつての仲間たちは出てこない。「はは~んこれは3作目の最後で出てくるパターンのやつだ」と思ったものの全く出てこない。これを踏まえて「はは~んこれはしばらくフランチャイズが続いてここぞというときのヴィランに立ち向かう仲間として出てくるやつだ」と思っている。その一方で、ステゴロ表現はよりシャープに研ぎ澄まされている。拳の一発一発がとても重く描写されている。そして重いけれども早い。気づいたら相手は地面に沈んでいる。主人公が倒した敵に対して仲間が「救急車を呼べ!死なすんじゃない!」と言っているのが説得力を増す致死性パンチである。劇場に響く殴ったときの音響の気持ちよさは映画でしか体験できない。

 そして得体のしれない敵役という意味では、今回はなかなか粒ぞろいだった。麻薬取締官でありながらも麻薬ビジネスに手を染める悪徳刑事と取引先の中国マフィア、日本側を裏切る日本のヤクザ韓国支店の皆さまと、そして裏切り者を抹殺しクスリを取り戻すために日本から派遣された殺し屋一派と、さまざまな勢力が入り乱れて戦うのが面白い。今回のベストバウトは、日本のヤクザの殺し屋集団に拉致されて金属バットで拷問を受けるマブリー、殺し屋集団のトップが電話を取って振り返ってみると、気づいたらマブリーがヤクザをボコボコにしていたというシーン。最高だった!!

 とはいえ、いろいろな勢力が出てくるぶん、そして強力班の面々が出てこず新しい人間関係が出てくるぶん、比較的説明的なシーンは多くなってしまっている。寝不足だったのでウトウトしてしまい、気づいたら暴力で起こされるということが何回かあった。それでも全体のボリュームは105分とコンパクトにまとまっておりとても観やすく、よく戦ってくれるのでおススメだ。

 さて、これまでシリーズ3作品が続いてきた本作であるが、これまでの敵はすべて組織からは外れたヴィランだった。4作目以降は、ぜひとも犯罪シンジケートそれ自体と戦っていただきたい。このシリーズはステゴロと悪役が魅力ということは充分理解できているが、次回作にはそれを超える何がが提供されることをついつい期待してしまう。といいいつつも、いつもどおりの内容が出てきても充分満足できることには変わりはないのだけど。

某少年探偵アニメへのアンチテーゼ「真実はいつも一つじゃない!」『落下の解剖学』

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 私はミーハーなので、アカデミー作品賞にノミネートされた作品は基本的に観たくなってしまう。その一方で、画面が派手なジャンルの映画(わかりやすく言うとブロックバスター映画)ではなければ観てる最中に身体がモゾモゾしてじっとしていらないという特性を持つ。2024年のアカデミー作品賞にノミネートされた作品のなかで、これはポスターに唯一出血していたので、コレはいける!!と思い観に行ったわけです。

 集落から離れた雪山のロッジで暮らす3人家族。ある日、夫が頭から血を流して死んでいるのが発見される。そこに居合わせたのは視覚障害者である息子のみ。状況証拠からして疑われる作家の妻。身の潔白を主張するのもも、ついには検察から起訴されてしまう。どうにかして妻は身の潔白を証明できるのか。隠された真実は何なのか。というような物語でした。

 映画冒頭からもったいぶらず夫が死亡するので、「おッもったいぶらない展開で羽振りいいじゃん」と思ったのも束の間、しばらくは登場人物の会話シーン(というかほぼすべてのシーンが会話シーンであるけれど)が続いていく。正直このあたりでは「実際のところ何が起きたんだろう...?」という気持ちよりも若干退屈さを感じてしまいまして、ここで15分程度うたた寝。ところが中盤くらいの裁判がはじまるあたりからメチャクチャ面白くなっていき、終盤のテープレコーダーのシーン以降は目を見張るほどの面白さでした。セリフだけでここまで面白くできるとは。2時間半なんて長いよ!!と思ってしまったものの、なんか映画全体を俯瞰して考えると、この長さは必要だったのかもなと思えた。

 一言で言うと、某少年探偵の「真実はいつもひとつ!」というキメ台詞(まあ原作ではいちども確認されていないという話は承知しているが)に対する、激烈なアンチテーゼを突き付けた作品である。「真実はいつもひとつとは限らない!」とでも言うべきだろうか。あるいは、「真実と事実は違う」みたいな言い方もできそう。兎にも角にも、唯一の「真実」なんてものは存在しない、ということを描いた作品である。

 驚くべきことに、この作品では、夫の死の真相は描かれない。劇中の裁判官や傍聴人のように、現場検証の様子や裁判の様子から、観客もその真相を予想するほかない。裁判を通じて、夫の死だけではなく、夫婦関係についても明かされていく。終盤の口論のシーンはメチャクチャきつい(笑) いちばくよく知っている他人である配偶者でさえ、ここまでモノのの見方が違うとなると、すごく絶望すると思う。口論のシーンは本当にお互いに話が通じておらず、X上での不毛な議論を観ているようで悲しい。お互いの夫婦生活へのモノの見方ですらこれなのだから、人類は到底分かり合えないというより深い絶望へ誘われるくらいの名喧嘩シーンであった。 妻「笑ってない私を好きになったんでしょ。いつも笑ってるバカ女が良かったの?」夫「君は本当に愚かだな!!」 というやり取りの後に、夫の部屋に出会った当時の妻の笑顔の写真が飾られているシーンが観ててマジでつらかったです。最も距離の近い人ですら世界の見方が違う、ということを示した良きシーンだと感じました。

 とまあその口論が証拠として流されるわけですが、そこで妻が言う「この会話が私たちの全てではない」というセリフもそれもまたそうだなあと思った次第。そして弁護士だが誰かが言った「作家が自分の小説のように夫を殺したというストーリーのほうが面白い」だけというのもそれもまたそうだなあと思った次第。それを象徴するかのように、上記のセンセーショナルな口論が証拠として提出された公判には多くの傍聴人が駆けつけていたが、最後の息子の供述には傍聴人はほとんどいなかった。結局のところ、多くの人は、自分がみたい面白いストーリーを見出そうとするだけ、というニュースやSNS社会における問題点も指摘されているように思う。

 結局のところ、裁判なんてものも、お互いの世界の見方の押し付け合いであるし、映画を観る観客自身も、自分の面白いようにストーリーラインを解釈する。たとえば「弁護士と妻がデキていて、夫を排除して裁判にまで勝った」みたいな下衆の勘繰りもできるような描写もされているし、息子が唯一残された肉親との関係性を考えて最後の証言をした、みたいなモノの見方もできる。

 「真実はいつもひとつとは限らない!」「真実は人の数だけ存在する!」という当たり前であるが認識から抜け落ちがちなことを、ポストトゥルース社会に活きる我々に教えてくれる名作であると思ったポンタヌフであったものの、画面が派手ではない長尺映画を観るのはやはりしんどいとも思ったポンタヌフであった。

ホラー映画と期待せずドラマ映画だと割り切ってみよう!『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』

 ホラー映画×ゲーム原作映画と聞けば、観に行かないわけにはいけない。オカルトとゲームを小さいころから好んで育ってきた私にとって、実写化してホラー映画となった『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』は2024年のマストウォッチリストに加えざるを得ない作品であった。

 とまあ、ゲーム好きといったものの、ゲーム版の『Five Nights at Fredy's』はプレイはしたことなく、いわゆる実況動画で知っているくらいであったが、可愛らしいアニマトロ二クス人形から5日間生き延びなければならないという設定は、なかなかドキドキしながらプレイ(自分の場合は視聴だが)できるものだと思っていた。一時期はゲーム映画の実写化=地雷映画という見方が大勢を占めていたように思うが、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』や『グランツーリスモ』の成功により、ゲーム×映画ファンはゲーム実写化に一縷の望みを抱いてよいことを知る。さらに手掛けるスタジオがブラムハウスと知れば(『M3GAN』とか『透明人間』はメチャクチャ面白かった)、これは期待をしないわけがない。ということで、『Five Nights at Fredy's』フランチャイズそれ自体のファンではないものの、いちゲームファンとホラー映画ファンとして映画を観に行ったわけである。

 視聴から丸一日経ったが、この映画に対する評価が定まらないというのが正直な今のところの感想である。面白かったような気もするし、つまらなかったような気もする。たぶんどちらの感想も観た人が、『Five Nights at Fredy's』フランチャイズ自体のファンでない限りは、少なくとも抱きうる感想であるように思った。

 まず、「つまらなかった」という感想は、「ホラー映画を期待して観に行ったらドラマ映画を観ていた」というポルナレフ状態(もはやこれは00年代の化石AAなのかもしれないけれど)になってしまったことに起因する。本映画のストーリーラインにおいて、ホラー要素はあくまでサブ的な要素に位置付けられており、メインの要素に据えられていない。あくまで主人公マイクと彼を取り巻く人間ドラマ要素が主題に添えられている。主人公であるマイクは、両親を喪い、年齢の離れた妹アビーと二人で暮らしている。アビーはいつも絵をかいて過ごしており、年齢相応に発達していないように描写されており、マイクは唯一の肉親であるアビーを大切に想う一方で、そんなアビーとの関係性に悩んでいる。そんななかマイクは叔母とアビーの親権をめぐってのトラブルを抱えていたり、幼いころに誘拐されてしまった弟に対する罪悪感に苛まれていたりする。そんななか、社会的評判を維持するため、紹介された廃棄されたピザ屋の警備員としての仕事に向かっていくが...? という物語である。残念ながら、このドラマの要素が映画の殆どを占めており、アニマトロ二クスによるホラー要素は全体の30%にも満たないのではないだろうか、と思わざるを得ない。5日間の夜を生き延びる、というゲーム要素もオミットされてしまい(ストーリードリブンにならざる得ない映画に仕上げるためにはしょうがないのかもしれないが)、「ゲーム原作のホラー映画」という本作に対する期待がことごとく裏切られてしまったのは事実である。なので、まあフツーに考えれば、この映画は期待を裏切られたという点で「つまらない映画」という感想で終わるのだが、少し面白さも感じてしまった。

 「面白かったかも」と感じた理由は、まあそのドラマ要素と作品全体を通じた主人公の成長がなかなか興味深く面白かった点である。まあ序盤から中盤にかけてメチャクチャ困惑しながら観ていたわけではあるが、マイクの過去が明らかになるにつれて、ドラマ要素にものめり込むこどできた。マイクの弟は、ネブラスカ州(うろ覚え)へキャンプへ行ってる際に、誘拐されてしまい家族のもとに帰ってくることはなかった。そして母親はそのショックで自殺してしまい(間違えているかも)、そして父親も妻を失った生活に耐えられず首をくくってしまった。そしてマイク自身も、弟をさらった犯人の記憶を思い出すため、記憶を呼び覚ます睡眠療法にドはまりしている。つまるところ、マイクの両親とマイクは、過去に支配されてしまい現実と今残っている家族と真面目に向き合うことはしなかったのだ。うーん、これは妹のアビーが不憫すぎて、空想の世界に耽ってしまうよな、と思い、アビーにメチャクチャ感情移入しました。アビーの描くイラストには、大好きな兄のマイクが描かれているのがなかなか泣ける演出である。こうした過去に支配された主人公というドラマ要素が、ホラー要素とイイ感じで親和する終盤は面白く観れた。アニマトロ二クス人形のバケモノは、実は子どもたちの霊が憑依して動き回っていたものである。その子供たちは、廃墟となったピザ屋のかつてのオーナーの手によって誘拐され、殺され、そして人形のなかに身体を隠され、そして死んでしまった今もそのオーナーに支配される悲しきモンスターであったのです。その支配というキーワードでドラマ要素とホラー要素が重なり合い、マイクが現実と向き合い、アビーの空想の力で支配に打ち克つその終盤の展開は、なかなかのカタルシスを感じたものであったのです。ここらへんは面白かったです。

 とはいうものの、残念ながら期待を裏切られた失望を埋めきることはできなかったので、「ホラー映画と期待せずドラマ映画だと割り切ってみたら面白い映画」だったという総合評価。なので面白くもありつまらない映画でもあるという、メチャクチャ困惑した感想を抱いてしまったのであった。

マンガ実写化の金字塔となった『ゴールデンカムイ』

 山崎賢人、実写「ゴールデンカムイ」に主演! アシリパは山田杏奈、尾形は眞栄田郷敦【映像あり】 : 映画ニュース - 映画.com

 

 漫画の実写化はコケるというジンクスを打ち破った漫画実写化の金字塔になりうる作品になったのではないか!? ゴールデンカムイだけに、という高評価を与えたい作品である。ジョジョなり斉木楠雄なりキングダムなり様々な漫画実写化作品に出てきた山崎賢人であるが(どれも観てない)、なんかこの作品がひときわ輝いているんじゃないでしょうか。

 『ゴールデンカムイ』の原作は、最終話まで一気見をしたことがある。全体としては楽しむことができたのですが、途中からなんか冗長さも多少は感じてしまっていたが、その要因として登場人物が増えてきてなんか主要キャラクターとモブキャラの顔の見分けがつかなくなってきて、なんか途中で流し見をしていた記憶がある。原作を読んでいたときの印象は、緩急がすごい作品だと感じておりました。アイヌ飯を食べていたと思ったらみそをうんこと見間違えて追手の陸軍と殺し合いをするとか、なんか日常とシリアスとギャグとアイヌの四点を動き回る、まるで数学の文章題の点Pのようなせわしない作品のような印象があった。モブと主要キャラクターの見分けはつかなかったものの、主要キャラクターのキャラ立ちはしっかりしていて、かなりクレイジーなキャラ造形が多い。つまるところ『ゴールデンカムイ』原作は漫画だから成り立っている要素がたぶんに含まれており、そういうわけでほとんどの人が映画『ゴールデンカムイ』は約束された爆死を予想していたのではないか、と思う(大変失礼だけど)。

 ところがすべての要素が上手く噛み合っているエンタメ傑作となっておりました。この映画は日露戦争203高地の旅順攻防戦の描写から始まるのですが、日露戦争への出兵がこの映画の全体を貫く良い感じの背骨になってくれていたような気がします。杉本自身も戦争によって喪ってしまったものが行動原理の背景にあり、第七師団率いる鶴見(玉木宏の鶴見はめちゃくちゃハマり役でしたね)の行動原理も軍部に絶望したがのゆえの行動である。そしてイケオジ最高峰の舘ひろし土方歳三も言わずもがなの明治新政府旧幕府軍との戦争が影を落としているわけだし、そもそもこのゴールデンカムイという物語自体も、北海道・樺太・千島に住むアイヌ民族を始めとした少数民族が日本・ロシアという国家に併呑されてしまった歴史が生み出した物語である、ともいえる。そんな戦争や血で濡れた歴史の影がチラチラと現れて登場人物に影を落としながらも、決してそこまでは本テーマになりすぎやせず、エンタメ大作としてきれいにまとまっている作品であった。

 キャラの強い主要キャラクターはさながら漫画と遜色のないよう気がしたが、それは上手いこと「ケレン味」のコントロールがすこぶる上手い。フツーに考えたらこんなことは有り得ないのだけれども、たとえば舘ひろし演じる土方歳三と牛山が邂逅するシーンでは、両俳優の凄みの効いた表情と声と暗みが勝った小樽の女中に雰囲気が相まって、なぜか現実味を感じる。この映画に出る俳優陣の説得力のある演技と、衣装や小物や背景など明治時代の北海道を感じされるこだわり、特にスクリーンから寒さが漏れてくるような雪山のロケーションなど、映画全体によって上手いこと調整されたことによって、この映画は絶妙なリアリティラインを保っている...と思った。だから画像とか予告だけでみるとなんか微妙そうに見えてしまうんだろうな。

 アクションもしっかりしており、話の進み方の退屈しない程度に緩急がついており申し分ないエンタメ大作である。原作のゴールデンカムイを読んでアイヌ文化に興味を持ち、わざわざ北海道に行ってアイヌ料理を食べてきた当方にとっては、この映画が世間一般に対するアイヌ文化に興味を持つきっかけになってほしいと思う。いまの日本人で「知っているアイヌは?」と聞かれたら、ゴールデンカムイを除いたらホロホロかシャクシャインしかいないのではないの。みなが通った中学の社会の時間に北海道旧土人保護法を習った際の衝撃を思い出せ自分ごとと考えるためにも、できればアシリパアイヌルーツの俳優を配役することができれば、アイヌ文化だけでなくアイヌと日本人の関係性を考えるきっかけにもなってような気がするのであった。山田安奈のアシリパは最高だったけど。

 WOWOWが製作に入っているとのことで、続編が映画ではなく連続ドラマだったらブち切れることここに主張します。