『マダムウェブ』を擁護する感想記事

 先週『マダムウェブ』を観ました。当方がにわかアメコミファンということを差し引いても、十分にオリジンストーリーとして感動できる面白い映画だったと評価いたす。

 ところが映画レビューサイトのRotten Tomatoでの批評結果は以下のとおり。

www.rottentomatoes.co

 

` 個人的には、そんな下馬評を覆すエンタメ作品として良質だったと評価をしたい。まさに本作のエンドで言っていた「未来はわからないから面白い」的なことなのであり(観てから1週間経っているので記憶が定かではないけれど)、世間の評価がどうであれ面白いかつまらないかは劇場に行くまではわからないのである。そう思わせてくれた映画作品ということで、なかなか個人的琴線には残る作品ではあった。

 

 まず、プロモーションの問題を抱えていることを指摘したい。日本市場における「マーベル初の本格ミステリーサスペンス」という謳い文句は失敗である。この謡い文句は、消費者庁案件レベルのウソと言ってよい。当方はにわかアメコミ好きなのでどんなプロモーションであっても観に行ったわけであるが、さすがにこの触れ込みのみで観た観客には同情を禁じ得ない。「本格」でもなければ「ミステリー」でもなく「サスペンス」でもないという...。そうでもしなければ予知能力のある体の弱った老婆というキャラクターの映画が日本市場でウケないのも理解はできるが、納得はできない。

 この映画は「家族」に関する映画であると整理をしたい。主人公のキャシーは、児童養護施設育ちで、身重の身体で現場調査に赴き命を落とした母親のことを恨んでいる。無意識のうちに自分と同じような境遇の子どもをうまないためにという意識からか、救急救命士の仕事をしている。しかしながら、自分の過去に向き合わないように、自分がそう思っていること、たとえ助けられた患者の子どもに感謝されたとしても認めようとしない。そんなキャシーは、救命現場における事故をきっかけに、予知能力に目覚め、そして今作のヴィランに命を狙われる3人のスパイダーガールズに出会う。というのが大まかなあらすじである。スイングできないスパイダーマンヴィランから逃亡していくなかで、スパイダーガールズたちはそれぞれの家族に問題を抱えていることを知った主人公キャシーは自分を彼女たちに投影していく。

 その過程で中島みゆきの糸的な家族像が描かれていく。自分が産まれる前から連綿と続く遺伝子が縦の糸として、そして自分が出会った人との紐帯が横の糸として描かれ、それを中心で紡ぐ存在として主人公キャシーは『マダム・ウェブ』として覚醒する。縦の糸として託された想いは継承されていき、またさまざまな人と協力することによってその託された想いをどんな未来にでもつないでいくことができる。ヴィランであるエゼキエルは自分が殺される未来をみてスパイダーガールズを殺そうとしていたものの、そんな決められた未来に逆らおうとする物語で非常に良かった。スパイダーマンたちはカノンイベントから逃れることができない、というメッセージは『スパイダーバース』っぽくてよい。

 また、コントロールのできない予知能力を持って超人的な身体能力を持っているヴィランを対峙していくのが単純に面白かった。一般市民が超人に抗うための手段が車でヴィランを轢くというのがあまりに現実的過ぎて笑えてくる。緊急避難的に窃盗したタクシーをぼろぼろになっても使い続けているのも、他に代替手段がない一般市民の窮地を表している。迫りくる超人から逃げ続けるという構図のアメコミ映画は他に例がなく、新鮮であった。

 運命は決まっているという毒を武器に戦ってくるヴィランを相手に、自分に与えられた武器をもって戦い、そしてついにはスパイダーキャラクターに課せられたカノンイベントを克服し未来を切り開いていくというキャシーの姿は、単純にアメコミ映画としての完成度が高いと思った。