今週のお題「SFといえば」:万物の霊長たらしめる「想像力×知識」による物語
今週のお題「SFといえば」
2022年2月以来の今週のお題である。
夏休みで時間があるので、今回もひょろひょろと書いていく。「アウトプットをする経験が少なすぎること」と「年間ベストの発表をしたい」という動機で初めたこのブログであるわけだが、このような自由論題はこれまでの人となりそれ自体のアウトプットであるような気がして、楽しい。いろいろな人のこのお題に対する記事を読んでいるが、みなそれぞれ観点が違うわけで、十人十色という言葉を身に染みて実感をする。
十人十色で思い出したが、小学生のころ、誰でも小説を投稿できるウェブサイトがあって、そこに投稿した自作小説の名前が「十人十色」だった。少し早めに来た中二病であるともいえるし、想像力の萌芽だったのかもしれない。内容は全く覚えていないのだが、「十人十色という四字熟語の語義から外れていますよ」というコメントが付いたのを覚えている。
SFといえば、想像力である
SFといえば、想像力である。まあ別にScience Ficitonに限らずFiction自体がそうじゃねーかというツッコミはあるものの、SFといえば想像力なのである。
日本人は学校教育で日本最古のSFである『竹取物語』を学ぶ。光り輝く竹のなかからかぐや姫が現れたり、最終的には月に帰ってしまうなど、シャーマニズムから宇宙要素まで散りばめた作品である。よく今から1,200年前にこんな発想が出てくるなあと思いつつ、人類はやはりいつの時代でも想像力を発揮してきたのだと実感する。世界各地の神話や言い伝えが想像力の賜物であるかどうかわからないものの、想像力というキーワードが古今東西の人類に普遍的なものなんだろうなーと思うわけだ。
よくは知らないが、人類を万物の霊長たらしめるものは想像力だと思っている。相手が考えていること思っていることを想像することによって社会性を得ることができたし、何かを達成するために逆算して創造していくことで道具というものを発明できたし、and so onである。中等英語教育の結果、and so onが脳内にこびりついており、物事を考えるとき脳内でand so onを使っていてついにそれを文章化してしまったわけであるが、つまるところ言いたいことは、人間の優れた能力からの発露がSFである、ということだ。
SFとほかのFictionの違い
SFと他のFictionの違いは、知識である。Sicience Fictionはその名のとおり、科学的な空想に基づくフィクションである。したがって、サイエンスの知識を知っていれば知っているほどそのフィクションを楽しめる。宇宙に関する情報を知っているほうがスペースオペラは楽しめるし、量子科学論を知っているほうがタイムトラベルものを楽しめる。あるいは現時点の最新技術や地球環境に関する知見があったほうが、ディストピアモノもより楽しめるのではないか。この前やっていた『ジュラシックワールド/新たなる支配者』も古生物学に詳しいほうがきっと楽しいと思う。
つまるところ、人類を万物の霊長たらしめるもう1つの要素である知識あるいは叡智、そのようなものに立脚したものがSFなのである。というよりもSF以外のフィクションって何があるの?という感じなので、それ以外もそんな気がするが、まあ比較的に専門的な知識が求められる、という感じでご理解願いたい。
つまるところ
つまるところ、SFといえば、人類を万物の霊長たらしめる「想像力」と「知識」である。そしてこのエントリを書いた目的は、「万物の霊長たらしめる」という言葉を使いたくて書いただけである。やはり我々は万物の霊長であるがゆえ、普段の生活においても「想像力」と「知識」を発揮していかなきゃならないと、世の中のニュースを観て思うわけで、あります。
あと気になるのは、ホラーってSFには入るのか気になる。超自然的な存在を取り扱うものは、一周まわってSFのような気もするが疑問に感じるポンタヌフであった。