映画『プロミシング・ヤング・ウーマン(2022年)』を観た:ポップな復讐エンタメにみえる「痛み」の映画

Promising Young Woman Wallpapers - Wallpaper Cave

作品メモ

プロミシング・ヤング・ウーマン(Promising Young Woman) 2021年7月16日公開 113分 監督:エメラルド・フェネル

休日の朝にパインとキウイ食べながら観た

明るい未来が約束されていると思われていたものの、理解しがたい事件によってその道を絶たれてしまったキャシー(キャリー・マリガン)。以来、平凡な生活を送っているように思えた彼女だったが、夜になるといつもどこかへと出かけていた。彼女の謎めいた行動の裏側には、外見からは想像のできない別の顔が見え隠れしていた。

movies.yahoo.co.jp

観た理由

アカデミー賞にノミネートされていて興味があり、このたびAmazon Primeで配信されていたので。

感想

 ふらっとしたあらすじと映画のビジュアルしか知らずに「はいはいはい画がポップな感じの復讐劇を描いたスリラー映画ね面白そうじゃん」と軽い気持ちで観たのだけれど、決してそんな軽い気持ちで観るべきものではありませんでした・・・。単なる復讐劇を描いたエンタメスリラー映画ではなくて、ぱっと見てポップなエンタメのように見せた「痛み」を中心に据えた映画だった。

 

1番ポップでよかったシーン。ポテチパーン!!素敵

 ここでいう「痛み」とは何かというと、直接的な暴力や暴言というよりも、その出来事によって出来た傷がじくじくとする「痛み」のことだ。そういえば、この前1巻目が無料だったので『ダーウィン事変』を読んだ。そこでチンパンジーと人間のハーフのヒューマンジーであるチャーリーが「心理的な痛みを与えたものは、そのときだけじゃなくて今この時も危害を与えているのと同じだ」と言っていた。センキューチャーリー。俺が言いたかったのは、まさにそれです。昔言われてイヤだったことや恥ずかしかったことを思い出すことがある。きっと言った本人や周りは覚えてもいないだろうけど、そのことによって心はじわじわと蝕まれていく。その度合いは人によって違うんだろうけど、きっと誰しもが経験していることのハズである。とはいえ、誰かの心に傷を残すような出来事は、絶えない。ニュースで見聞きするような大きな出来事もあれば、それぞれの周囲のコミュニティで起きている小さな出来事もそうだ。ここで小さな出来事と形容したのは不適切かも。社会的な影響力の大小は語ることはできるけれど、それが小さいか大きいかは個々人によって違うからだ。

 本作ではその大きい小さいの話だ。その出来事を大きい物事だと捉えた主人公キャシーは夢だった医者になることを諦めて医大ドロップアウトしたし、そのキャシーの親友であるニールは自分を喪失し命を絶った。ところがその出来事を小さい物事だと捉えた周囲は、全くその出来事を覚えていなかったり、あのときは子どもだったんだと自己弁護をしたり、そっちにも非はあっただろと抗弁をしたりする。まあ覚えてもない終わった過去の話を蒸し返されたら自己防衛もしたくはなるのかもしれないが、それは自分自身の視点からの話だ。自分自身や自分の大切なひとに置き換えたらどう思うか、ということを主人公が具体的な手段を用いて問いていく復讐劇の話である。そしてその復讐劇は、無力感をまとった胸糞の悪さがあってスカッとしない結末を迎える。「う~んマジ?ウーン!」という感情変化をしたが、この物語はこの結末でよかったんだと思う。スカッと終わる結末を描いてしまったらそれは完全なるフィクションになってしまう。スカッと終わらず胸糞が悪い結末ばかりなのが、今の世の中だからだ。ラストのシーンである種の救いがあったのは、この映画の製作陣のこうなってほしいという祈りなんだと思った。

 この映画で描いている出来事は、誰かに残した残しうる残された傷の話である。それは誰もが加害者になりうるし被害者にもなりうる話である(例えば主人公のキャシーがクラブの前で恋人ライアンと出会うシーン、ライアンがマジの善人だったら、キャシー自身も心の傷を与えてしまうのでは?)。そして加害者と被害者だけの話だけでない。自分自身が無自覚なのか自覚的にか、作中でも指摘されていたとおり、Innocent Bystanderになってしまっていないか。

 みたいなことを思った作品だった。あと『ダーウィン事変』の続きが読みたいと思った。電子書籍かな~。