人生初北野武映画である『首』を観た率直な感想

北野武監督最新作『首』西島秀俊、加瀬亮ら総勢15名のキャラクタービジュアル&PV公開(ぴあ) - Yahoo!ニュース

 

 芸人としてのビートたけしは『世界まる見え!テレビ特捜部』で毎週観ていたので子どもの頃から親近感を覚えていたが、北野武の映画作品はこれまで観たことがなかったが「ハードボイルドでバイオレンスなもの」という先入観のみ持っていたので自分に合うかな~と思っていたのだが、最新作は時代劇ということで取っつきやすそうということで見に来ました。結論:取っつきやすいわけではないが、とても面白かったです!!

 今現在において日本史をテーマにしたエンタメ作品や創作作品は数多くあれど、戦国時代は美化されたイメージで語られるきらいが多い。街で「尊敬できる歴史上の人物は誰ですか」と訊いたら5人に1人は戦国武将の名前を答えるだろうし(かなりの偏見)、『戦国無双シリーズ』や『戦国バサラ』などでは(知っている具体例がゲームしかなかった)ヒーローとして美化されている。とはいえ、明治維新まで日本は封建主義の時代であり、彼らはしょせん封建領主に過ぎない。君主から土地を与えられ、その見返りとして軍事的奉仕や奉納をせざるを得ない立場の人間に過ぎない。これまでの大河ドラマや時代劇で光があたってこなかった部分にフォーカスした面白い時代劇だった。

 なかなか痛快で面白かったのは、戦国時代の美化されたイメージをことごとく脱構築している部分である。戦国武将は決してヒーローではなく、欲にまみれた一人間である。天下統一を成し遂げる天下人であっても、しょせんは一般民衆と変わらない欲をもった人間である。三英傑と言われる信長・秀吉・家康の描かれ方もまさにそんな感じである。信長は、暴力で周囲を屈服させる独裁者のように描かれているし、そしてそれが底が見えない不気味さに繋がっているかというとそうでもなく、子どもに跡目を譲るそのへんの小物と結局一緒であると描写される(そしてこれが本能寺へ繋がる)。秀吉は水攻めや中国大返しなどの奇策で知られるが、決して自分で考えたものでなく、部下や協力者にやらせっぱなしの所詮はサルであるし、家康も腹の底が見えないというか周囲に恵まれただけのビビりのようにみえる。「戦国武将なんてその辺の人間と変わらない」というのが時代特有の衆道描写や暴力描写として映画として出力されていて大スクリーンで観るのが楽しい。特に加瀬亮演じる信長はよかったです!!

 そして、この作品全体としての「武士道」の描かれ方も面白い。忠義だの御恩だの信義だののキーワードで語られがちな「武士道」であるけれども、結局はそんなものは存在しない。武将を守るために散っていくモブ兵士が描かれているが、彼らはたぶん武士道精神に則って主君に忠義を果たして死んでいっている。とはいえ、肝心の主君が上記のような描かれ方をしているので、「武士道」なんてものはもともと存在せず、君主が押し付けた主従関係のなかの支配装置のように思えてくる。

 そしていつの世も名もなき一般市民が割を食う、ということをひどく感じた作品でもある。合戦シーンがかなりの迫力で最高!!という感じなのだが、よくよく考えると合戦シーンは無数の屍のうえに成り立っているシーンでもある。ギャグのように描写される大量に出てくる家康の影武者たちのように、安全な本丸から足軽を突撃させろという秀吉のように、人間は生れてから死ぬまですべて遊びだという信長の価値観のように、この時代の一般市民は戦国武将の一存で空しく死んでいく定めというのが伝わってくる作品である。一般市民枠のストーリーラインである茂助の存在も、一般市民も戦国武将と同じ欲を持っているという観点と、そして一般市民は彼らの手のひらの上で踊って散っていくだけということを示すために必要な描写だったのだなあと感じた。

 「しょせん権力者の手のひらのうえの一般市民」と「一人間としての欲をもつ権力者」というのは、いつの世の中も変わらないのだなあと感じつつも、ちゃんとエンタメとして面白いとても楽しい映画であった。

 歴史ものを普段全く見ないせいか、それとも様々なストーリーラインが並行するせいかわからないが、話の繋がりが見えずらいシーンがあったのが玉にきず。あとセリフが聞き取りにくい・・・(笑) コメディシーンをマイナス評価とする声もあるが、北野作品をこれまで観ておらず比較対象がないからか、個人的にはあまり気にならななかった。