名実ともに終わったDCEU『アクアマン 失われた王国』

Aquaman and the Lost Kingdom (2023) - IMDb

 

 DCEUフランチャイズの最新作にして最終作の『アクアマン 失われた王国』は、メッチャ面白くなかったです...。仕事はじめの週末に超絶空腹状態で観たからゆえの面白くなさだと信じたいんですが...。名実ともにDECUフランチャイズの終わり。

 

 ザック・スナイダーから始まったDCEUフランチャイズ....。その歴史は残念ながらMCUほどに上手くいったようなものではなかった。『アベンジャーズ』で大ヒットを記録したMCUに焦ってしまいDCEUの雰囲気をテコ入れしようとしたスタジオ側の目論見はまんまとはずれ、デイヴィット・エアー監督の『スーサイド・スクワット』は大コケし、肝いりの集合作品である『ジャスティス・リーグ』も「...」という結果に終わった。その後は『アクアマン』のヒットで持ち直すかと思いきや、結局は再浮上は叶わず。リリースされた『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』は長尺なので「?」とは思われつつもメチャクチャ面白かったので、結局スタジオの方針は大きな誤りだったのではという評価を再燃させ、なぜかリブートされた『ザ・スーサイド・スクワット』や『バット・ガール』のお蔵入りなどのゴタゴタ具合がそれに拍車をかけた。そして『ジョーカー』や『ザ・バットマン』などDECUフランチャイズ外の作品がヒットを飛ばし、DECUフランチャイズジェームズ・ガンのプロデュースのもと生まれ変わることとなり、『ブルービートル』は日本公開スルーされ、そして本作『アクアマン 失われた王国』にてDCEUは名実ともに終わりを迎えたのであった。

 本作は本フランチャイズを表象するかのようなゴタゴタストーリーであり、端的に言って面白くなかった。「失われた王国」とは、2013年のフランチャイズ開始時にみんなが夢見たDC王国に対するジェームズ・ワンからのレクイエムのようにも思える。さようならDCEUフランチャイズ...。最も好きな作品は、やっぱり『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』でした。アメコミファンダムに足を踏み入れたのが2017年とかであるが、そのころのMarvelに対してDCは異色の感じがして、それが好きだった。すなわち、スーパーマンワンダーウーマンに代表されるようなヒーローが神性を帯びているようなイメージがあり、映画にしてもシリアスストーリーとキメ画が印象的なイメージであった。これは序盤作品にザック・スナイダーが関わっていることが大きい。

 対照的に、DCEUの最終作である本作からはそのような要素はまるっきり失われてしまった。まさに失われた王国。やりたいことをすべてぶち込んだがゆえに、とりとめのないストーリーになっている。百歩譲ってやりたいことをすべてぶち込むの理解ができる。フランチャイズのリブートにより、もはや現在のキャストでアクアマンを描くことのできる保障はないからだ。しかしながら、ぶち込まれた要素にことごとく既視感を感じてしまう。

 兄と弟のブラザーフッドは、これは完全にMCUのソーとロキの関係性の輸入である。しかもこれを輸入したせいで、弟オームの性格が前作から魔改造されてしまい、砂の王国の牢獄による矯正効果は素晴らしいものであることを証明してくれている。たぶんゴッサムシティのヴィランたちもあそこにぶち込めば更生するだろう。アトランティス王国と地上世界との和解は、ブラックパンサーのパクリである。作品序盤で「王には飽き飽きだ」とか言っており、王国における諮問機関的な評議会に権力を奪われそうになっていたのに、なぜかエンディングではアトランティス王国を代表して地上世界と交渉を始めだす。そもそもアクアマンとして認知がある地上世界にアトランティス王として交渉できるのか? なかなか解せない。なんかブラックマンタのアジトである悪魔の深奥のジャングル描写も、『キングコング:髑髏島の巨神』とかモンスターバースの地底世界とかを想起するような感じでございました。

 しかもこれらの要素を詰め込んだせいで、プロットが死んでいる。序盤で語られる、いわゆるヒーローとしての活動と、父親としての育児と、そしてアトランティス王としての執務。「これらの両立がうまくいかず、王としてなんてやってられないぜ!評議会とかの意思決定機関があるなんて聞いてないぜ!」みたいなくだりがある。このあたりにケリをつけどれかを選んだりするのかな~とか思いながら観ていたが、特にそれ以降この悩みには触れられることはなく終わる。挙句、アトランティス王については、独断で犯罪者である弟を勝手に脱獄させ逃亡させるその所業は、果たして王としての資質があるのか甚だ疑問である。そこに疑問を呈され評議会から権力を奪われそうになるくだりがあるのだが、特に回収されることはなく、エンディングではアトランティス王として地表世界に降り立っている。そして、ブラックマンタも散々な扱いを受けている。そもそもブラックマンタは、アクアマンがマンタの父親を見殺しにした(まあそもそも海賊であるのて悪い奴なのには変わりがないんだが)ことがキッカケで誕生してしまったヴィランであり、今後もヒーロー活動をやっていくうえではこのくだりの精算が必要不可欠である。今回のブラックマンタはメインヴィラン級の活躍をみせアトランティス王国に侵攻をするが、それば真のラスボスに操られてしまった結果であり、最終的にはラスボスと主人公を対峙させるために、脚本の力で本編から脱落する。その際、アクアマンはマンタに手を差し伸べるが、マンタは自ら手を放すことを選ぶ。アクアマンは「自殺するならどうぞ」みたいな感じで、脚本上次のイベントがあるので忙しいぜ!という具合で一瞥だけして去っていき、そのあとは触れられることはない。そしてラスボスも仰々しいわりには大したことはなく、槍を投げただけで死ぬザコキャラであった。一般人なのにアクアマン兄弟追い詰めたブラックマンタのほうが強い。なんだこれ。

 というように、ツッコミどころが満載の作品となってしまっている。前作はツッコミどころが逆に面白さに繋がっていたように思うが、前作にあった世界観の目新しさが無くなってしまった本作は、上記のような具合であるため、ツッコミどころはツッコミどころとして残ってしまっているように感じられた。

 DCEUフランチャイズの最終作である本作は、まるでフランチャイズそのものの“メタファー”かのような作品であり、これをもってDCEUは名実ともに終わった。さようなら。