テーマと古川琴音が輝く野心的ホラーの『みなに幸あれ』
年末休暇のとき暇だったので2024年1月に観たい映画を調べていたら、血にまみれた古川琴音知らないホラー映画があるぞ...オッ「第1回日本ホラー映画大賞受賞」とか「日本ホラー映画界の巨匠・清水崇が総合プロデュース」とか目を引く文字が踊っており、何かでみた宣伝文には「誰も見たことのない新しいホラー映画」とまで書いてあり、これは必ず見なければリストに入れていた。上演劇場や上映回数が限られていることもあり、わざわざ公開日に休みをとって(ほかの用事もあったけれど)観に行ったわけでございます。
こ、これは....確かに「誰も見たことのない新しいホラー映画」だ... というのがファーストインプレッションで、一言で要約すると「古川琴音がひたすらイヤな目に遭う因習村コント」といった感じ。まあ確かに誰も見たことのない新しいジャパニーズホラー映画ではあった...。なんかクソ映画ではないけど、なんか惜しさを感じてしまったという印象である。以下、このあたりを言語化してみる。
まず映画全体に通底するテーマは、「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」というもので、「地球上感情保存の法則」みたいなものから着想を得たとのこと*1。すなわち、幸せの絶対数は100と決まっていて地球上でそれを奪い合っているだけ、という感じだ。もしくは、相手の幸せ指数をマイナス-100にしてしまえば、自分は200の幸せを得ることができるのかもしれない。しらんけど。このあたりのテーマ設定は、とても世間から共感が得られるものだと感じる。駅構内や橋の下にいるホームレスの不幸のおかげで自分が幸せになっているとは思わない。身近な場面で考えれば、自分が休暇をとってこの映画を観に行ったせいで職場に残された誰かは仕事のしわ寄せが行って大変な思いをしている、と言えるのかも。あるいは、学校で安心してすごせるのは、いじめられている子がひとりいるから矛先がこっちに向かず安心して過ごせるのかも。なんか奪い合うんじゃなくて与え合おうぜみたいなポップスもあるように、いろいろな人に普遍的だけど顕在的ではない「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」というテーマ設定は、かなり優れた着眼点だと思った。
そしてのほほんとした幸せを過ごしていた古川琴音が、祖父母の家に帰省した際に、その幸せの裏にあった事実を知ってしまい...というのがあらすじだ。逆に言うと、これ以上のあらすじはないといっても過言ではない。事実を知ってしまったあとは、予告や宣伝からもわかるように、ひちすらに古川琴音がイヤで気持ち悪い目に遭いまくり恐怖に突き落とされるという展開。気になったところは多々あれど、古川琴音がホラー映えする素晴らしい俳優であることがわかった。
ただシーンごとに分割してみていくと、最初に述べた「まるで因習村コント」という評価になってしまう。「ホラーとコメディは紙一重」とはよく言われることだが、それがよくわかる作品というか、どちらかというとあえてコメディに寄せてない? というような気がする。作品全体を通した雰囲気と古川琴音の恐怖演技で作品全体をみればホラーとしての体裁は保っているが、あきらかにシュールを超えたコメディと思しきシーンがあるのはいかがなものかと思ってしまい、気持ちが萎えてしまったシーンがいくつかあります。また、「因習村」ではあるのだが、ある程度文明化されている集落での出来事である。車もあるし、電車に乗ってこれる範囲の因習村であるので、「東京に帰ればいいのに...」という気持ちがどこか頭のすみに残ってしまう。因習村になり切れていないし、逆にテーマ的にすべての人間が関係あることだから、東京に帰っても村と変わらい様子になっていた、みたいな展開もありだったかも。もともと古川琴音も祖父母の家に気味悪さを感じていたという描写も差し込まれるので、あの集落独自の風習みたいなところに収斂されてしまうのはもったいないような気もしないでもない。
という感じで、普遍的なテーマをエンタメホラーに昇華しきれているかというと微妙だなあ...というような気持ちになった。ただ「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」というテーマは、ホラー映画そのものがその構図のうえに成り立っているエンタメであるから、このことをホラーファンは忘れてはいけないんだなあ、と古川琴音がボコボコにされているのを見て思ったポンタヌフであった。